神様は見てるよ 見てなくても知ってるよ
一昨日は、下北沢ろくでもない夜どうもありがとうございました。
もう、本当に幸せな一日でした。
あの空間で歌えたことに感謝します。
せっかくの機会なので、僕が音楽をやろうと思ったきっかけの藍坊主というバンド、そしてボーカルhozzyさんへの思い入れをひたすらに書き記そうと思います。
長文です。
藍坊主との出会いは高校生の頃だった。
当時の僕は、JUN SKY WALKER(S)しか聴かない時期があって、ジュンスカの音楽さえあればそれだけで充分です。みたいな時期があったのだけれど、小学校からの親友の本山くんに「このバンド良いから聴いてみて」と言われて教えてもらったのが藍坊主でした。
気がついたら虜になっていた。
あの時初めて聴いた曲は、瞼の裏には だった。
今でも大好きな曲のひとつです。
ライヴにも何回も行った。多分20回くらいは行ってると思う。
ライヴハウスデビューも、HEAVEN'S ROCK 熊谷に観に行った藍坊主だ。その時も本山くんと一緒に行った。
人生初の出待ちもしてみたりして。
「全然出てこねーなー」とか言いながらそそくさと帰った思い出。
個人的には2008年フォレストーンのツアーファイナルのZEEP TOKYO、2018年新江ノ島水族館でのアコースティックライヴが特に思い出深い。
人生の節目には必ず藍坊主の音楽があった。
10代の多感な頃に出会ってしまった為、藍坊主の音楽はもはや僕のすべてと化していた。
特にボーカルのhozzy (あえて敬称略)の存在が大きすぎたんだ。
彼の声、言葉、考え方、不器用で嘘がつけないアナーキーな生き方、そのすべてがかっこよく見えた。
彼に憧れて髪を伸ばして以来、未だにずっと長髪だ。
曲はもちろんのこと、彼の書く文章が好きで、彼のコラムは貪るように読んだ。
初期のコラムによくあった小説のようなもの、哲学に傾倒し一気に物の見方が深くなり、非常に難解になった頃のコラムが特に好きだった。
1万円は出すから是非書籍化してほしいとずっと思っている。
高校を卒業して、ニートのような堕落した生活をしていた僕は、彼のコラムを真似してひたすら意味不明な文章を書いてみたり、歌詞を書いてみたりと少しずつ創作活動の真似事をしていった。
初めてギターを買ったのもその頃だ。
hozzyのギターと同じやつ欲しいなあと思って調べてみたら、ネットで1本だけ発見することが出来た。色違いだったけど、即購入した。届いた時の興奮は今でもよく覚えている。
バッカスの初心者用のギターで、3万円しなかった気がする。
プロなのにこんなに安いギター使っているなんて…とまたそこでhozzyかっけえ!って思ったりして。
その後、一応大学に進学した僕はとにかくバンドというものをやってみたかった。
バンドを組む為だけに大学に進学したと言っても過言ではない。
実際に死ぬまで生きるもんズは大学で出会って組んだから、目的は果たしたのだがネ。
大学では軽音サークルに入って、念願の僕の人生初ステージもそのギターと一緒に歌ったんだ。
人生初ステージは何故だか50回転ズのコピーバンドだったのだが。
ちなみにその時のベースは、のちに死ぬまで生きるもんズでベースを担当するチェロさんだった。
チェロさんとは藍坊主のコピーバンドも一緒にやった。チェロさんはギタリストとしてね。
余談ですが、彼は実はベースよりもギターの方が上手い説があります。
大学1年生の頃に、死ぬまで生きるもんズを組んでからはゴリゴリのロックンロールに傾倒していった僕だけど、藍坊主だけは別格だった。
ただ、その当時唯一後悔しているのは、2011年5月に行われた藍坊主の武道館ライヴを観に行かなかったこと。
どうして行かなかったのかよく覚えてないけど、2011年5月は丁度自分たちのCDが初めて出た月だったから、色々予定があったのかなあ。
情けない。
でも、武道館ライヴのDVDは死ぬほど観た。
忘れないで がたまらなかった。
その後はバンドも解散して、音楽活動から離れた時期があったけど、藍坊主の新譜はフラゲして欠かさず聴いていた。
ブルーメリーとスノーマリーが出た頃だった。CDウォークマンを持参して、帰りの電車で速攻で聴いた。スノーマリーが特に好きだ。寒くなると無性に聴きたくなるアルバムのひとつ。
2015年に僕はCramptonというバンドを組んだ。
もう一度バンドが出来て本当に楽しかった。ギターボーカルに挑戦して、弾けないギターと共に僕なりのロックンロールを歌ったつもりだ。
Cramptonは藍坊主のエッセンスが詰まりまくりの曲たちだったと自分でも思う。コードや展開など様々な部分で影響を受けた。
それと同時に藍坊主の曲のクオリティに驚いた。めちゃめちゃ考えて作ってるんだなあって。当たり前だけれども。
2015年は藍坊主もLuno Recordsという自主レーベルを立ち上げて新たなスタートを切っていて。
あの頃の曲ってなんとも言えないパワーというか、パッションがあるんだよなあ。
個人的にもなんだか思い出に残っている年というか。
ライヴももちろん行ったし、ミューズ音楽院でやった座談会みたいなやつも運良く当選して観に行ったり、藍坊主の地元の小田原に一人で行って、海を眺めて帰ったり、川崎のタワレコまで新譜を買いにバイクで行ったり、新宿のタワレコのインストアライヴも観に行ったり。
初めてhozzyさんと話したのもその時だ。
まじで緊張して緊張して声が震えた。あんなに緊張したことは初めてだった。
丁度、新宿のタワレコに死ぬまで生きるもんズのCDが売っていたので、自分で買って手紙と一緒にCDも渡したことを覚えている。
変な奴って思われただろうなあ。へへへ。
その後、CramptonのCDが出来たときに、hozzyさんに良かったら聴いてくれってメールしたんだ。
すると、丁寧なメールが返ってきてネ。
僕の声のこと、バンドのことを褒めてくれて、お世辞だったとしても嬉しかった。
しかも、そのメールがきたのが偶然にも僕の誕生日だったから、忘れられない最高のプレゼントになった。
一昨日のライヴも長丁場にも関わらず、全部の出演者の演奏をちゃんと聴いていて、この人は本当に優しい人だなあって思ったよ。
いくつになってもパンクな精神を持っていて、コラムとかを読んでいても、よく喧嘩もするようだし、自分は良い奴なんかじゃないって思っているような気はするけれど(勝手に)、ファンの人のことを裏切るようなことは決してしない人なんだろうなあって思ったりして。
ますます好きになっちゃったヨ。
その後結局バンドも続かず、一人で弾き語りをやったりして。
もう一からバンドをやるエネルギーも無いかなあ、とか思いながら暮らしていた時にTwitterで今回のイベントのことを知って。
これはなんとしても出てえ!と思って、ろく夜の原口さんにメールして、出させていただけることになったのです。
もうそわそわしちゃって前日もなかなか眠れなかったもの。
当日ろくでもない夜に着いたら、すでにhozzyさんが居てね、挨拶したら「久しぶり」って。
うぉぉおおい覚えていてくれているのかい!って心の中では大興奮だったのだけれど、あんまり出しゃばりすぎるのも良くないだろう、と思い一人でホールに行って、hozzyさんのギターがセッティングされたステージを眺めていた。
出番まではあっという間だった。
ステージで軽くリハーサルをして、そのまま本番。
客席にあのhozzyが居る。
落ち着け〜落ち着け〜と深呼吸をして、ギターをかき鳴らす。
毎回思うけど、もっと落ち着いて出来ないものかねえ。本番になるとどうしても力んでしまう。
まあ、それがライヴってやつなのかもしれませぬが。
短い時間だったけど、思いっきりやれたと思う。
ここぞとばかりにカバーするのもだせえかなあ、とか色々と歌うか迷ったのだけれど、せっかくなので、藍坊主のマザーという曲をカバーさせていただきました。
色々な思いが込み上げてきましたなあ。
マザーが発売されたときのhozzyさんのコラムがとても印象的でネ。
完全なるアナーキーな文章というか行為でリアルタイムで読んだときに、とても興奮したことを覚えている。
ちなみにそのコラムは速攻で消されていた。
あなーきー。
hozzyさんに「マザーめっちゃ良かった」って言っていただいて、カバーして良かったぁあああと思いましたヨ。
本人に褒めてもらえるなんて、こんなに幸せなことはありませぬ。
あと「めっちゃスウィートな声してるね」って。
…もうお世辞でもなんでも良いのです。
その幸せな勘違いのおかげで僕ァこの先も自信を持って歌うことが出来るのです。
こっそりギターにもサインしてもらった。
昔「ギターにサインなんてもらったらその人のこと超えられないだろ」的なことを言われたことがあったけれども(僕が言われた訳ではないのだが)、そんなことはもうどうでもいいのだ(ブルーハーツ)。
さすがにここまで読んでくれた人なら当然お分かりだと思いますが、僕にとって藍坊主は特別な存在なのです。
もちろん、他にも好きなバンドや憧れの人はたくさんいるのだけれど、そこまでは緊張しないと思うし、普通に接することが出来るような気がするのだけれど、藍坊主だけはちょっと別格なんです。
(あ、でも昔に生で見た吉井和哉氏にはオーラで圧倒された。ありゃあ凄い。死ぬかと思った)
だからなんか超えたいとかそういった感じではもうないのだ。
ビートルズ好きが全員、ジョン・レノンを超えたいって本気で思ってるのか?と言われると、うーむってなるのと同じことで。
こういうことを言うと、本気で超えると思っていない限り、超えることなんて絶対出来ない、最初から諦めるなよ!といったケイスケ・ホンダ的思考の方もいらっしゃると思いますが、まあそれはそれで。
余談だけれども、僕はビートルズももちろん大好きで、藍坊主にはビートルズ的な要素があるって昔から思っている。
ソングライターが二人いて、なおかつ破天荒なボーカルとメロディーメーカーなベースという組み合わせ。
お互いの曲に影響受けて、片方が名曲を出すと、もう片方もそれを上回るような名曲を出してくる。
実験的な曲たちも多く、フォレストーン辺りはリボルバーと通ずるものがある。
性格もジョンとポールとそっくりな気がする。
hozzyさんは完全にジョンだし、ベースの藤森さんは完全にポールだ。
僕が藍坊主を愛しているように、同じくビートルズをこよなく愛するオアシスのリアム・ギャラガーがこんなことを言っていた。
「ジョン・レノンは俺にとってすべてを意味してるんだ。ソングライターとしてポール・マッカートニーより上だとは言わないし、どっちも違っていてそれぞれにすごいと俺は思う。ただ、俺にとってはジョンの方がちょっと美しくて、ちょっと狂ったところがあるから俺はジョンが好きなんだ」
「ポール・マッカートニーはノエルみたいなんだよ。つまり、やさしすぎるんだよね。ジョンはねじくれたところがあって、俺はそういうのが好きなんだ。特に一番好きなのはジョンの声なんだよ。話してる時の声も大好きだよ! あの声ってファッキン・メガ級にすごいよ。でも、歌っている時の声がやっぱり一番だな。政治的な意見はどうかって? どうでもいいね、政治なんて興味ねえから。でも、その他の全て、ジョンが歌っている声、ジョンの曲、そしてジョンの言葉、これは俺には世界そのものなんだ」
…とまあ、これなんて僕からしたら、本当にそっくりそのまんまジョンをhozzyさんに、ポールを藤森さんに当てはめられる。
いや、藤森さんもめっちゃ好きですよ。
あの人のメロディーセンスと色々なものを吸収して自分のものにするセンス凄いと思う。
ちなみに、若い頃はモヒカンで藍坊主一番のパンクスだった説はあります。
対象は違うにせよ、こんなにも同じことを思っている人がいるなんて。
まったくリアムったら最高だぜ。
ちなみに、ギターのユウイチさんはジョージ的な立ち位置ではないような気はする。
作曲はメインではやらないみたいだけれど、武器よサラバという名曲を作っているし、アレンジ面でかなりの才能を発揮している。
ギタリストとして最高すぎるギタリストで本当好きだ。ストロークがめちゃくちゃ上手い。フレーズも最高でしかない。コーラスが馬鹿でかいところもたまらない。
先日辞めちゃったけれど、ドラムの拓郎さんも多彩で面白くて最高だった。
全然余談ではなかったのですが、どうしても「藍坊主は日本のビートルズ」論をここに説いておきたかったもので。
ライヴ終わったあともhozzyさんと色々お話し出来て僕は本当に嬉しかったです。
人見知りということを見抜かれた。ははは。
そりゃそうか。ずっと奥にぽつんと座っていたからネ…ライヴハウスという空間に未だに慣れないのだ…
帰り際に、hozzyさんから握手してくれたこと忘れないっす。
歌うことはこの先も絶対辞めないと誓ったよ。
僕が一番良い歌を歌うんだって思いは常に心のどこかにはしまってある。
僕にしか歌えない歌をこの先も歌っていけたら良いな。
嘘みたいな奇跡を僕は信じる。
本当にhozzyさんありがとうございました。
うまく言えないけど、俺はてっぺんをとるぜ。
2021/11/25 (Thu.) 下北沢ろくでもない夜
1.夜の魔物
2.喜びのうた
3.マザー(藍坊主)
4.さよなら、またね
ライヴ翌日の朝、hozzyさんがTwitterフォローしてくれていた。
もうっ!好きになっちゃう! byシソンヌ